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東京高等裁判所 昭和63年(う)220号 判決

本籍・住居《省略》

フリーライター T

昭和二六年八月二六日生

右の者に対する傷害被告事件について、東京地方裁判所が昭和六二年一二月二二日に言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官竹内正出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人大塚喜一、同山下洋一郎、同四宮啓、同藤井一及び同鈴木勝美共同作成名義の控訴趣意書、主任弁護人大塚喜一提出の控訴趣意書(その二)並びに同弁護人作成名義の控訴趣意補充書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官竹内正作成名義の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  頸部捻挫にかかる事実誤認の主張(控訴趣意書第一章)について

所論は、要するに、原判決は被告人がA女の体を「駐車中の普通乗用自動車の後部に数回押し当てるなどの暴行を加え、よって、同女に安静加療約二週間を要する頸部捻挫」の傷害を負わせたと認定しているが、被告人はA女に対しその右腕を掴んだことがあるだけで、それ以上の行為に及んでいないから、同女に頸部捻挫の生じる可能性がなく、また仮に、同女の供述するように被告人が左手で同女の右手首を掴んで前後に揺さぶるという暴行を加えたとしても、このような暴行によっては医学的に同女に頸部捻挫を発生させるような機序がなく、したがって、同女が頸部捻挫の傷害を負ったと認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで検討すると、原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、原判示のとおり被告人が本件暴行によってA女に安静加療約二週間を要する頸部捻挫の傷害を負わせた事実を認定することができるのであって、原審記録を調査検討し、当審における事実取調べの結果を考え合わせても、原判決の事実認定に誤りがあるとは考えられない。すなわち、関係各証拠によれば、昭和六一年一二月八日午後一時ころ、原判示の桑沢デザイン研究所一階の駐車場内又は同所前の歩道との境目付近において、被告人は、同女と向かい合って立ち、同女に対し、左手で同女の右手の手首と肘との中間付近を内側から掴み、同女の右腕を肘から折り曲げさせた形でその手の部分を同女の首元付近まで押し上げ、また、被告人の右手に持つ小型のテープレコーダーを同女の口元に突き付けつつ、被告人の体全体で同女に覆いかぶさるような姿勢を取りながら、左手で掴んだ右腕を前後に揺さぶるようにして同女を後方に押し、同女の背面を同駐車場に駐車中の普通乗用自動車の後部に数回押し当てるなどの暴行を加え、そのため、同女をして下半身が直立したまま上半身は反り身という状態にさせたうえ、同女の背面を自動車に押し当てることによってその首筋にもかなりの力を加えたことが認められる。また、医師若江幸三良は、原審公判廷における証言中で、翌九日にA女を診察した際、同女が首に痛みのあることを訴え、同女に首の回旋運動及び右側屈を他動でさせたところ、抵抗ないし疼痛反射がみられ、かつ、右肩が張ったという状態(右僧帽筋の緊張)があったことから、頸部捻挫を生じていると診断した旨述べているところ、右診断結果は、経験則に照らし、不合理な点はない。そして、右のような被告人の暴行の態様と若江医師の診断結果、更にA女の原審公判廷における証言中の、同女が首に痛みを感じた状況について述べる部分などを考え合わせれば、被告人の右のような暴行によって同女が頸部捻挫の傷害を負ったものと認めた原判決の事実認定は正当であり、所論指摘のような自動車事故の際発生したいわゆる鞭打ち症の事例にかかる医学的見解を考慮に入れても、原判決の認定に合理的な疑念は生じない。

論旨は、理由がない。

二  腰部挫傷にかかる事実誤認ないし審理不尽の主張(控訴趣意書第二章、第三章、控訴趣意書(その二)第三章、控訴趣意補充書)について

所論は、要するに、原判決は被告人がA女の体を「駐車中の普通乗用自動車の後部に数回押し当てるなどの暴行を加え、よって、同女に安静加療約二週間を要する……腰部挫傷の傷害を負わせた」と認定しているが、(1)仮に、桑沢デザイン研究所一階の駐車場に駐車中の普通乗用自動車の後部に同女の体を押し当てることによって同女に腰部挫傷が生じたものとすれば、同女の負った腰部挫傷の位置と、当時、押し当てられたであろう自動車の後部の車高とが一致しなければならないが、当時同駐車場に駐車していた普通乗用自動車五台はそれぞれ車種を異にし、後部の形態、トランクの高さなども違い、さらに、同駐車場の床面と道路との間に段差があって、東側の部分と西側の部分とではかなりの高低差があったのであるから、どの自動車がいずれの位置に駐車していたか、また、同女が押し当てられたのがいずれの自動車の後部であったのか特定しないまま、原判決のごとき事実認定をするのは公訴事実の重要な一部について証拠による事実認定を放棄したに等しく、この点審理が尽くされていない、(2)また、同女の負った腰部挫傷は、腰の右上部(第四腰椎棘突起の高位)に位置し、五センチメートル掛ける四センチメートル大の範囲に皮下出血の生じたものであるから、自動車後部の平坦な部分に押し付けられたり衝突したりして生ずる傷ではなく、なんらかの突起物に接触して生じたものと考えられるところ、右駐車場に当時駐車していた自動車いずれの場合であっても、各車の後部の形状や車高、同女の身長、同駐車場の床面と歩道の高低差などから、同女の供述するような姿勢では、右傷害の生じた部位が自動車の後部と接触する可能性はない、(3)被告人がその際同女に加えた力は、左手で同女の右腕を掴むという全く弱いものであって、同女側に向かって力を作用させておらず、同女を後退させて自動車にぶっつけるような強い力ではなかった、(4)同女が本件直後に痛みを感じていなかったことや治療経過の不自然性などから、同女の腰部挫傷は本件とは別の機会に受傷した合理的疑いが残るのであるから、この点検察官の立証が尽されておらず、結局、被告人の暴行により同女が腰部挫傷を負ったと認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで検討すると、原判決の挙示する関係各証拠によれば、原判決が罪となるべき事実において被告人がA女の体を駐車中の普通乗用自動車の後部に数回押し当てるなどの暴行を加え、同女に安静加療約二週間を要する腰部挫傷の傷害を負わせたと認定判示するところ及び「補足説明」の項で右認定の理由として詳細に説示するところは、概ね正当として維持することができ、また、右事実に関する原審の審理は十分に尽くされていることが明らかである。以下、補足して説明する。

(1)  所論(1)について

原判決が、被告人によってA女の押し付けられた普通乗用自動車の具体的特定を行っておらず、その自動車の駐車していた位置についても、目撃証人らの証言は本件駐車場内の二本の太い柱の間に駐車していたという大筋においては一致していると説示しているのみで、それ以上に具体的な認定を行っていないのは、所論指摘のとおりである。また、原審記録を調査検討するに、所論指摘のとおり、本件当時、同駐車場(研究所出入口に通じる舗装通路を含む。)に駐車していた自動車は、普通乗用自動車五台で、車種はそれぞれに異なり、カローラレビン、マツダファミリア、ホンダシティ、ホンダクイントインテグラ及びフォルクスワーゲンの五種類であったことが窺われるが、そのいずれが駐車場内、とりわけ二本の太い柱の間で右側又は左側の、歩道寄りの位置に駐車していたか特定することができず、更に、A女がその背面を押し当てられた自動車が右五台のいずれであったかもこれを認定することはできないと考えられる。

しかしながら、後記(2)のとおり、関係各証拠によって認められる右五台の自動車の後部の形状、本件駐車場の状況、同女の負った腰部挫傷の部位・様子などと、目撃証人らやA女の証言を総合して認められる被告人の暴行の態様とを合わせ考えれば、同女が押し当てられた自動車の具体的特定やその駐車状況が明らかにならないでも、同女が被告人の暴行によって腰部挫傷を負った事実を認定できるので、この点、所論のように更に検察官に立証させることは必要なく、結局、審理不尽の主張はその前提を欠き失当である。

(2)  所論(2)について

原判決は、A女の腰部挫傷が自動車の後部に接触した結果生じたものであると認められることに関し、「補足説明」の四の項で、同女の証言の信用性について判断を示すにあたり、「車両後部角の高さと同女の腰のあざの位置の高さとの違いについては、被告人と被害者がもみ合う過程において、被害者の体がある程度上下したであろうことを考慮すれば、多少の高さの差はさして異とするに足りず、しかも、同女の腰のあざは、その状況からみて、車両後部の角以外の部分に当たった場合でも生じうるものと認められる」と説示しているが、右の判断は結論的に正当として維持できるものと考えられる。すなわち、関係各証拠によれば、A女が翌九日に若江医師の診察を受けた際、同女の第四腰椎棘突起の高位の右側に五センチメートル掛ける四センチメートル大の皮下出血があり、また、その真上付近に二センチメートル掛ける二センチメートル大の皮下出血があったこと、いいかえると、右二つの皮下出血を伴う腰部挫傷を負っていたことは明らかであり、また、被告人が同女に加えた暴行の態様は、前記一で述べたとおり、被告人の体全体で同女に覆いかぶさるような姿勢をとりながら、左手で掴んだ同女の右腕を肘から折り曲げさせた形で、その手の部分を同女の首元付近まで押し上げ、更にその右腕を前後に揺さぶるようにして、同女を後方に押す力を加え、同女の背面を自動車の後部に数回にわたって押し当てたものと認められる。そして、同女としても、被告人から右のような暴行を加えられた際、被告人の手から逃れようとして左手で被告人の顔付近を突いたりするとともに、身をもがき、上半身が反り身の形となっていることもあって、上下あるいは左右に体をずらしたり、被告人を押し返したりしたことが窺われ、したがって、同女の背面で自動車と接触した部分も最初から最後まで同一個所であったものでもなく、自動車の後部としても特定の一個所のみに接触したものではないと考えられる。そうすると、同女の腰部挫傷は、前記(1)で述べたとおり、同女が押し当てられた自動車がいずれの車種のものであったか特定できず、また、その自動車の駐車位置も明らかでないため、どの自動車のどの部分に押し当てられたことによって生じたなどとはいうことができないにせよ、本件五台の自動車のいずれであっても、また、駐車位置が駐車場の太い二本の柱の間の右寄り部分か左寄り部分かを問わず、同女が背面を自動車の後部に押し当てられた際、腰部挫傷を負った部位がトランクの蓋の上部角、蓋の下方の角ばった形をしている部分、蓋の鍵部の飾り板、あるいはランプの取付け縁など、若干の凸凹のある部分に強く当たったことによって生じたものと考えることは十分に可能である。そして、A女は、証言中で、同女が腰部挫傷を負ったことに気付いたのは、本件当日、自宅へ帰った後、腰に痛みを感じたことからで、当日はその部位が赤くなっていたが翌日は青くなったものであり、被告人から暴行を受けた以外にこのような傷を負う原因は全く考えられないという趣旨のことを述べているところ、右証言が信用できることは後記四のとおりであって、結局、同女の腰部挫傷の部位・状態、被告人の暴行の態様などと同女の右のような証言とを総合すれば、同女の押し当てられた自動車がいずれの車種のものであったか、駐車位置がどこであったかなどが明らかでなくとも、原判示のとおり被告人の暴行によって同女が腰部挫傷を負った事実を肯認することができ、原判決に事実誤認はない。

なお、所論は、被告人が本件と同一車種の自動車の後部に自己の背面を押し当てて、A女に腰部挫傷が生じたという部位が接触するかどうか実験してみたが、いかなる姿勢を取っても、自動車と接触するのは背中の中央ないし上部のみであって、腰部は全く接触しなかったと主張している。しかし、右主張を裏付けるものとして当審で弁護人から提出された各写真を検討するに、写真を撮影するにあたり被告人の取った姿勢は、ことさらに足を自分の前方すなわち自動車から遠く離れた方向に投げ出し、被告人の背中を自動車の後部に沿って下方にずり下げたものとみられ、原審第一〇回公判廷における被告人の供述に際し、弁護人から提出された同様の状況を撮影した写真と対比してみても、当審において弁護人から提出された写真は右主張を根拠付けるものではなく、したがって、右主張は採用の余地がない。

(3)  所論(3)について

関係各証拠によれば、被告人がA女に対し加えた暴行は、前記一及び前記二の(2)において述べたとおりであって、その加えた力も、単に左手で掴んだ同女の右腕を軽く前後に揺さぶるという程度のものではなくかなりの強さのものであったと考えられる。しかも、被告人は、体全体として同女に覆いかぶさるようにし、直接に力を加えて押したのは右腕の掴んでいる部分であったとはいえ、同女の右腕を肘から折り曲げさせ、かつ、手の部分を首元付近まで押し上げていたのであるから、右腕の掴んでいる部分に力を加えれば同女の体とりわけ上半身を後へ押すことになり、そのため同女がその背面を自動車にかなり強い力で押し当てられたものと考えられる。したがって、所論は、その前提において失当である。

(4)  所論(4)について

原判決挙示の各証拠によれば、A女の腰部挫傷が本件と別の機会に負ったものではなく、被告人が同女に対し加えた暴行によって生じたものと認められることは、前記(1)ないし(3)に述べたとおりであり、当審における事実取調べの結果を考え合わせても、原判決の事実認定には所論(4)の主張するような事実誤認はない。

したがって、いずれの論旨も、理由がない。

三  採証法則違反による事実誤認の主張(控訴趣意書第四章、控訴趣意書(その二)第二章第一節ないし第四節)について

所論は、要するに、目撃証人らはいずれも、被告人に対する偏見と独断に基づき、その目撃位置からは目撃できなかった状況を想像によって供述したり、あるいは、時間的経過を経て記憶が薄れ、逆に関連事件の報道等を知って記憶が歪曲しているのにこれを自ら目撃したように表現・叙述するなどしており、供述の変遷も多く、また、証言相互間で、被告人がA女を自動車に押し当て反り身にさせたなどと述べる点では一致するものの、重要な要素である場所、態様、回数などの具体的事実については曖昧な点、不一致な部分が多く、各証言の信用性はないもの、又は著しく低いものといわなければならないにもかかわらず、これら目撃証言が信用できるという誤った判断に基づき被告人がA女を自動車後部に押し当てるなどの暴行を加え、被告人の暴行と同女の受傷との間に因果関係があると認めた原判決には明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで、原審記録を調査して検討するに、原判決が「補足説明」の二及び三の項で目撃証人らの証言が信用できることについて説示しているところは、いずれも正当として維持することができ、当審における事実取調べの結果を合わせ考えても、原判決の証拠の取捨、推理判断の過程に誤りがあるものとは認められず、原判決には所論のような採証法則違反及びこれを前提とする事実誤認はない。すなわち、目撃証人らは、Bを除き、いずれもA女と同じく桑沢デザイン研究所に通学する専門学校生徒であったが、同女と特別の縁故なり利害関係を有していた者ではなく、また、被告人の犯行を目撃した際被告人を痴漢か変質者と思ったと述べるものの、一般に刑事事件を目撃した者らが感じる以上に特殊な嫌悪感や憎しみを抱いたりしていたとは窺われず、その証言内容に影響を及ぼすような特別の事情は存在しないと認められる。そして、その各証言内容自体として、その目撃した状況を記憶にあるとおり述べているものと認められ、その大筋においては客観的に窺われる本件の全体的な流れに沿い、ことさらに誇張して述べた、あるいは特定の部分を隠蔽しようとしていると窺える点はなく、全体としてその信用性は十分肯定できるものと考えられる。所論は、各証言いずれにおいても供述に変遷があり、前後矛盾する部分があると主張するが、所論で供述の変遷と指摘する部分のほとんどは、表現の不十分さから生じたものであり、とりわけ反対尋問において表現の微細な食い違いを厳しく追及されてかえって混乱し、結果的に前後矛盾する答になったと見られる部分もあり、当該部分の信用性はともかく、全体的な信用性を弱めるものではない。また、目撃証人らの証言は、相互間で、その大筋の流れについては一致しているものの、具体的な細部について若干の食い違いがあることが認められるが、目撃した位置、時刻等が異なることによって供述内容にずれが生ずるのは当然のことであり、一般的に考えて、本件のように突然発生した刑事事件を極く短時間数名の者が目撃した場合、各人の観察内容、記憶、表現等は食い違っているのが自然なことであって、細かい点まで完全に一致する供述をするときは、逆に供述前に皆で口裏を合わせたのではないかという疑いが生じる。そして、本件の場合、具体的細部例えばA女の押し当てられた自動車の車種、その車の駐車位置などについて目撃証人らの証言が一致していないということは、目撃証人らがことさらに事実を歪めて供述したのではなく、それぞれの記憶に基づいて供述したことを示すものということができ、その意味でも右各証言の信用性は十分肯定できる。なお、所論は、B及びCの各証言について、同人らが目撃した位置からは、駐車場の大きな柱に視野を遮られて、被告人がA女を自動車の後部に押し当てるなどしたという場所を見通せなかったはずであり、したがって、右各証言は不正確なものであると主張している。しかし、B証人及びC証人はいずれも、一定の場所に身動きもしないで被告人とA女の状況を眺めていたというものでもなく、また、視野の遮げとなる柱もそれほど大きなものではなく、若干自分の立っている位置を動かしたり姿勢を変えたりすれば、両証人が当初に本件に気付いた地点ないしその付近から被告人とA女とが揉み合う状態となった場所を見通すことができたのであり、更に、両証人とも、本件に気付いた直後に駐車場前の歩道上に飛び出して、被告人らに近付いていることが明らかであって、こうした状況に照らせば、両証人の各証言も両証人が実際に目撃した事柄を記憶に基づいて供述したものということができ、その信用性に疑念をさし挟む余地はない。

したがって、論旨は、理由がない。

四  採証法則違反による事実誤認の主張(控訴趣意書(その二)第二章第五節、第四章)について

所論は、要するに、被害者とされるA女の証言も、内容的に極めて曖昧なもので、前と後とで転々と変わり、矛盾する部分も多く、目撃証人らの証言とも食い違い、A女が北野武に話した内容もあやふやなものであったと窺われ、その信用性がないことは明白であるにもかかわらず、A女の証言を採用して被告人が同女を自動車に押し当てて傷を負わせたと認定した原判決には、重大な事実誤認ないし判断の誤りがある、というのである。

そこで、原審記録を調査して検討するに、原判決が「補足説明」の二及び四の項でA女の証言が信用できることについて説示するところは、正当として是認することができ、当審における事実取調べの結果を合わせ考えても、原判決がA女の証言が信用できるものとした判断に誤りはなく、原判決には所論のような採証法則違反及びこれを前提とする事実誤認はない。すなわち、A女の証言は、全体として目撃証人らの述べる本件の流れと符合し、基本的かつ重要な部分においても目撃証人らの証言と合致し、かつ、A女の証言内容をそれ自体としてみても、本件当時興奮していたことなどにより記憶に若干の混乱の生じていたことは窺われるものの、記憶していることをありのままに述べた、誇張や作為のない自然な供述とみることができ、その信用性は十分肯定できる。なお、同女が本件状況に関し北野武に話した内容も、細部についてはともかく、基本的には証言内容と格別に異なるものではなかったと窺え、この点において同女の証言に疑念をさし挟む余地はない。

したがって、論旨は、理由がない。

五  原判決における推論過程の誤りの主張(控訴趣意書(その二)第五章、第六章)について

所論は、要するに、原判決は証言の信用性について判断を誤ったばかりでなく、証言と内容的に異なる事実を前提に、誤った推論を展開して、原判示の事実を認定したものであって、この点においても原判決に重大な事実誤認がある、というのであるが、原判決における証言の信用性についての判断や証拠の取捨選択、また、証拠に基づく事実の推理判断に誤りのないことは、前記一ないし四に説示したところから明らかであって、原判決には所論のような推論過程の誤りを前提とする事実誤認はない。論旨は、理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 船田三雄 裁判官 松本時夫 裁判官 山田公一)

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